本体

無になりたくなくなっていることに気付いた。感情って面白いしおいしい。苦しみも悲しみも含めて、自分が出す自分の味なんだと思う。

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2023年、存在を忘れていた自分のアカウントをふと思い出して見に来たところ、「無になりたくなくなっていることに気付いた」から始まる3年前の描きかけの下書きがあった。その頃に何があったのか、全く覚えがないけど、そういう感覚になったことはなんとなく覚えていた。読みにくいところだけ修正して、せっかくなので公開することにした。

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さいころからかなり感情のコントロールが苦手だった。自分だけが下手なんだと思っていた。実際そうなのかもしれないけど、わたしはたぶん頭の中の世界がかなり広い方で、逆に現実の世界での活動は少ない方。自分の全身のうち、感情が握ってる権力が大きめだったのだと思う。

感情が握る権力が大きいと、感情に振り回される。しんどいけど、感情に振り回されない方法は分からなかった。物心ついたときから初期設定で頭の中の世界の割合が多い。感情の権力も元から強い。そのまま育ち続けて大きくなってきたし、そうじゃない状態になったことがなかったから、一体なにをどうしてどうやって、みんなは悔しさを泣かずに堪えたり、嬉しさで全身の温度が上がって頭が飛びそうになったりしないのか分からなかった。

感情に権力を握られていることで良い思いをすることはとにかく稀。怒ると怒りで全身を埋め尽くされて、自分の脳が汚い棒でぐちゃぐちゃに混ぜられるような感覚になる。絶望すると絶望で全方位を包み込まれて、目を開けても閉じても変わらない真っ暗な海の底に沈められる気分になる。感受性が豊かと褒められることもたまにはあったけど、繊細で神経質な上に情動的なのはほとんど自分にも周りにも害しかなくて、感情がわかない人間の方が断然良いに決まっていた。感情は自分に対して直接の力を及ぼしてくるし、その権力が絶大だったら感情が及ぼす力はほとんど暴力みたいになる。

対処が難しいのは怒りと悲しみと、それから悔しさ。感情にのまれることで良い思いをすることが少ないなら、嬉しさや楽しさを手放してでも、感情から離れたかった。無になりたかった。平和で穏やかで、うっすらとぼんやりとだけしか世界を捉えないような状態になりたかった。感情が悪だと思っていた。ヒステリックな人は困る。感情的なのは原始的。感情的なのは迷惑。だから滅多に感情が揺れない人になりたい。感情を動かさないような訓練がしたい。感情に振り回される前に、自分の頭で起こっていることを自分で全部説明できる人になりたかった。

自分を知った。知っていたと思っていたけど、もっと知った。感情を知った。コントロールする前に何物なのかを知ろうとした。飽きずに見つめ続けた。強大すぎたので、いっそコントロールすることを諦めた。世界に自分を合わせることをやめた。自分の生きていく環境を自分で整えるようになった。

時間が経てば、切り口のみずみずしかった傷が塞がり、そこにあったことすら忘れる。苦しかった自分を覚えていても、苦しさを元の量と元の質で再現することはできない。そんな助かり方があったのか。

後から忘れても、分からなくなっても、知らなくなっても、元から無かったことにはならない。良いも悪いも、まだ判断するには早い。ひとつひとつの行動で、自分が数直線の上を行ったり来たりするわけではない。ひとつひとつの出来事を荷物にも足枷にもしなくて良い。ただそこにあって、自分の中にゆるく降り積もる。

自分よ、何年も前から、生まれてきた瞬間から自分だった自分よ。自分の人生を不毛と思いたいか。恥にとらわれて自分をラベリングしたいか。誰のために?

苦い、痛い、悲しい、辛いたびに燃える森。そこから辿ってこられる今。心の中がぐちゃぐちゃでも、自分は笑える、ぼーっとする、なんとかして眠れる。自分は1番優しい顔を人に向けたい、人のことを考えて泣きたい。自分のために。

生きてたらたまにいいことがあるのは本当で、ただ何もかもが嫌になって頭の中が灰で埋め尽くされるときがくることも本当で、その時の一瞬が一生みたいに思えるのも本当。でもいつか終わると知っていて、終わらせられる力が自分にあるということも知っている。心の中の静かな森が何度焼き尽くされようと、また1からやってきた。そうしてきた自分を、誰よりも知っている。

一般的に感情は尊いと思うなら、自分の感情も尊い。向き合ってきてよかった。これからもどうぞよろしく。