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昨日新幹線のニュース見て色々考えたけどうまいこと言葉にできず、やるせない

人間にとって生は単に喜びばっかりではないから生きてることそのものに絶望することもある。生きてたらそれでいいわけではないのは、生きていること自体が辛くなって救いとして死を思ったことがある人はよく分かると思う。

 

でも我々には神経があって、寝るだけで、あったかいお湯に浸かるだけで、好きな味を感じるだけでいい気分になるようにできている。自分が生まれる前、自分が全く存在してなかった時間のことなんて感知できなさすぎて自分が無いのと共に世界も無いも同然、でも生まれてこのかた自分の命や自分の体の中の仕組みは自分のために日々動いてきたと思う。自分が生まれる前の世界と、生まれて死んでいった後の世界と、比べて意味の有無を問うことはない。そういうことで生の価値ははかれるものではないと思っている。はかれるかどうかで価値を表すなら、生きることに価値なんてないのかもしれない。

生きている中でいい気分をたった1回でも味わったことがあるなら、もうそれはこの世に生まれて自分が自分になった意味があったに違いないと思う。他の誰のためでもない自分が自分であるためでもなく、ただ存在としての自分に内在している神経やらその他システムがいい気分を沸かせる。こんなことがあるか。そんなことが毎秒ずっと起こっている。自分という生物としてのシステムの作動。

喜びや苦しみやいろんなことを知っていろんな生活を作って、より良くなろうとしたり、もがいて落とそうとしたり、生の間に時間は過ぎていく。限りある時間に対して必死で抵抗しても逆に迎え入れても、これからみんなたどり着くのは時間の終わり。

生まれた時点で自分の終わりや大事なものや人の終わりを背負わされている。ただ与えられた生を持っているだけでその終わりを背負ってて、みんな死ぬ。生に対して感謝を持とうが憎しみを持とうが、時間は過ぎて死ぬ。

みんな死ぬ事実は罰でもあり救いでもあると思う。

みんな死ぬのに、みんな最後には壊れて行くのに、わざわざなにを傷つける必要があるか。