f:id:suanskhianenem6:20190503232419j:plainなんでもよさがやばい。

晩ご飯何食べたいとか休みの日何がしたいとかどこに行きたいとか、なんでもいいって答えが1番困るのに最近本気でなんでもいい。どれでもいいっていうよりどれも良い。良さがせめぎ合ってる中から最強を決定する労力しんどい。そこをさぼっています。全員優勝でええやろ。実際何でもいいわけないけどいっぱいいい選択肢思いつくし仕方ない。

卒業して就職して1ヶ月経ちました。働くのは結構楽しい。物事を先に進めるのが楽しい。会社の中では効率よく合理的に物事が先に進んでばっかりいる。停滞することがほとんどなくて、やればやるほど進む。会社に入る前に会社に抱いていたイメージは、「excelでした計算を電卓で検算する」で、全然合理的じゃない方法を提示してくる上司にイラつく未来をリアルに想像していました。が、実際入ってみると、自分がより効率的な方法を考えるまでもなく、これまで会社に携わったいろんな人々の手で洗練されまくった最高効率最高精度最高スピードの方法がもうすでに存在していて、それにわたしがあやかっている状態。わたしみたいな効率厨に事務職はめちゃくちゃ向いている。

とは言っても良いことばっかりでもなく。事務作業はとっても得意で楽しい一方で、人に話を合わせたり、素早くうまく馴染もうと努力することが苦手で楽しくないことを自覚した。事務能力はあるけど社会性が微妙。相変わらずだなあ。

学生の時からずっとそんな感じだったけど、ヒエラルキーの基準に疑問があったり、趣味が周りとずれててやりにくい時がある。こだわりポイントが違ってたら、一方は主体性が無いように見えたりプライドが無いように見えて、もう一方は頑固で融通が利かなくてわがままなように見える。周りが拘ることが自分にとってはどうでもよかったし、自分がちゃんとしたいところが周りはいい加減で、よく分からなくなったりしてきた。みんな多かれ少なかれそういう気持ちあるんだろうな。双方無理せずとりあえず満遍なく希薄な関係が良い。どうしても居心地が良い人たちは、薄いままでいようって思っていても勝手にだんだん近寄っていってしっかり関わっていくものだと思うし。なんとなくずっと自分は集団からはみ出ていたり端っこで埋もれてるって感じてたけど、大学でのびのびと過ごしていろんなところにいるいろんな人と内面を少しずつ共有したことで、誰しもどこかでは中心でどこかでははみ出ているものなのかもしれないと思い始めて、どうでもよくなれた。多数派にいないことを不安に思ったり、逆に少数派であることに謎の拗らせたプライドを持ったりしてきた過去ひっくるめて、きっとよくあることで、よくあることってことはわたしは自分が心配するまでもなくどうしようもなく平凡なのだ。無根拠になんとなくそういうもんなんだなあとしっくりきて、なんとなくどうでもよくなった。会社には虫が好きな人は男女問わずわたし以外に1人もいない上、休憩室での会話も特によく分からなくてもよさそうなので、わたしはこのままテキトーにやっていきます。人間関係の微妙な移り変わりや人の感情や機嫌の機微なんかより、蝶々の羽化の方が圧倒的に面白いので、人間関係に悩んでる暇があったらYouTubeで羽化動画見よっと。おすすめ。