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ちょうど1年前の今頃の写真を遡って見てみたら1人で岐阜にスキー行ったときの写真出てきた。思ってたよりスキーが下手くそになっていた。小さい時よりも怖がりになったのかもしれない。

以前ほどこれがこうでああでここがこうつながってうんうんなるほどっていう辻褄確認の作業をしなくなった。意味があってもなくても変わらないと思い始めた。意味があってほしいものの意味を、先に用意しておいて、そこに帰着させるために間の思考経路を繋いでいるだけなら、そしたら最初からそのあってほしい意味を理由なしに信じてあげたら良いのかもしれない。生活が単純、自分も単純でどストレートどシンプルな毎日のどストライクを生きている。迷うこともあんまりなくなった。考えないとだめなことは度々あって、それは考えるけど、結構世の中には考えても考えなくても、選ぶ方がAでもBでも、どっちでもいいことが多いと思う。どっちでもいいのは、ああもうどっちだっていいよっていう投げやりな答えじゃなくて、どっちも五分五分に良いからどっちでも良い、どっちを選んでもその後のことは自分次第のところが大きい。

これがこうでなければいけないみたいな自分が勝手に作って嵌る枷が無かったら、なんでもおおらかに許して暖かく受け止められると思う。それを理想としていたとしても、そう完璧にできなくて別に良い。不完全さだけ受け入れて、それから自分自身と仲良くやり始められたら一番良いとおもう。

言語化不能の毎日を、慈しむように過ごす。