f:id:suanskhianenem6:20180222234131j:image

梅を見た。おいしい中華を食べた。梅を見た。滝を見た。バイト中に手に蜂が止まって、おとなしくしていたのでわたしもおとなしく観察した。

おいしい中華のお店、ランチ券をもらっていた。バイト先のマダム、バイトを辞めるときにわたしにくれた。そのマダムとは悲しかったこと、悔しかったこと、それから自分が自分を恥じている部分についてたくさん話した。年下だけどあなたのことを尊敬してるのよ、自分の人生に対して誠実だからこれからも大丈夫よ、と言ってくれたことをたまに思い出す。

一緒に行った子は酢豚、わたしはエビチリを食べた。酢豚の豚じゃない部分、エビチリのチリの部分がすでに美味しくてずっと食べていた。野菜もたくさんおいしかった。それから人生で初めてピータンを食べた。

 

この間ひとつ命がなくなった。わたしは会ったことも話したことも触ったこともない子だった。でもどうしようもないくらい悲しくて、知らせを聞いてしばらく動けなかった。わたしの片割れの片割れだった。これからどうなるかどうしていくのかは分からないけども、片割れもきっと大丈夫でいる努力をするから、わたしもなるべくいつも通りでいることを考えた。

 

なにかのタイミングを逃さずに乗ること、本番で成功することの方を気にしすぎているけど、本当はなんにもなさそうに見える準備の期間中、ずっと自分を整えて良い状態でいることの方がよっぽど難しいのだと思う。何か目立つ、立派な、劇的な言葉を考える前に、そんなあるかないか分からないようなもので一発逆転を狙うことがほぼ実力外の運であることを分かってないといけない。なんにもないお呼ばれもしていない、日記に書くまでもなく素通りしてしまうけどほんもののわたしが実際に生きている、その余白の時間こそ自分の人生だと思う。見出しに書かれるようなキャッチーな出来事の合間合間で思い出されもしないのが生活そのものだと思う。そこを大事にあつかおうと思う。