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生まれて72時間のニワトリを見た。

スケッチはいつも途中でフッと集中が切れてだいたいこんなもんでええかというところで切り上げてしまうけど、今回は気がすむまでやった。スケッチ、嫌いではないどころか丁寧にやればやるほど良いものができるから自分の根気が続けばずっとやっていたいくらいな気持ちと、本当に面倒くさくてさっさとやめちゃいたい気持ちが9:1。今回はなんで、集中が切れても周りのみんなが帰って行っても意地で描き続けられたかというと、自分がその胚を殺したからだと思う。

慣れない。いや逆に慣れてしまった微生物ごめん。オートクレーブしてごめん。

毛が生えてるかとか進化の系統的に自分に近いかとかはたぶん実感にあんまり関係なくて、動いてることが大きいと思う。心臓が動いて、赤血球の粒が移動していたのを見た。

その時の気持ちを言い表すのにあんまりぴったりな言葉を持ち合わせていなくて、それがもやもやしているものなのかふわふわなのかよれよれなのかもよく分からなかった。あの感情を形のわかるものにしたい気持ちもそんなになかったのかもしれない。浮かんで消えて少し残っている。

まあわたしは全然なんてことはない優秀でも不真面目でもない学生なうえに、勉強や研究に関して人よりよくできる必要がもう無いと思ってて向上心や野心もあまりない。テストはあるけど、高校生のときのようにシビアな選抜が待ってないから、純粋に見たいものを特別集中して見て、やることちゃんとしっかりやったりいい加減にやったり、これが一番楽しい。

院に進むか考えて、きっと楽しいだろうなと思って、就職するって決めたことがたまに揺らぐ。そらそうだ。就職に関して見えてる未来は微塵も無し、院に関して見えてる未来はいろいろヒントがある。想像つくものの方がなんだか楽しそうに思えて、未知数のものは気分によってわくわくしたり不安になったり。そらそうだな。

いろいろ話した。高校生のとき、成績や人格が人よりよくないといけなかったとき、よくならなければいけないと思い込んでたときならわたしが絶対に言わなかったことを言った。もはや白状のようなものだった。自分が別に弱くても良くて、何ができなくても良くて、それができるようにならないとだめと思わなくて良いことをちゃんと言ってくれる人が周りにいることは、人生始まって以来の幸運だなと心底思う。頭でっかちカチカチ堅物野郎になったらとりあえずグミを食べてもんじゃ食べてゆっくり寝れたらいいな。本当に小さなことから振り返ったりやり直していったらいいな。そういうことに時間をかけるのは良い、やり始めるのに遅いこともない。自分が世界に1人しかいてなくて、自分の周りにいる人たちも1人ずつしかいなくて、1回だけのどんどん流れていく人生のことを大事にするのに遅いことはないと思う、たぶん。