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 また奄美に行ってきました。ちょくちょく泣きそうだった。特にどこがどう泣きそうかは理解できなかった。それでいいと思う。

去年話した人がわたしのことを覚えていて、せっかくだから出かけようって言ってくれて2人をデッコボコ道の林道へジープみたいな車で連れて行ってもらってかなり嬉しかった。1年前の自分、けっこうあのときはしんどかったのを覚えている。またやっちゃったなあという感じで、自分の人生に何回も何回も起こす失敗が起こったばっかりで、嗚呼またかと。自分に対して半分諦めみたいな、学習能力がなくてどうしようもないやつだと思っていた。しんどかったんじゃなくて、がっかりな結末を避ける力もない上にがっかりにしっかり落ち込む自分に腹が立っていた。そんな感じの状態の自分と会った人が、その1年前の自分のことを良い印象で1年間覚えていてくれてとても嬉しかった。人から見る自分がまあまあいいやつであるという発見、新鮮で、それから丁寧にお礼を言いたい気持ち。

1年経って変わったり変わらないとこもあったりするけど、たまに過ぎて行くスピード感に焦ってとりあえず日々をなんとかして全部保存したくなるくらいには日常をとても大切に思っています。いいやつでいる努力みたいなものが自分が健康に過ごすよりも大事だった頃の自分に今の自分を見せてやりたい。今のわたし、いいやつかどうかなんてどうでもいいぞ。でも楽しくて楽しすぎて生活体感スピードは加速の一途で、信用できる人や信用してくれる人がいっぱい増えたぞ。よかったな。

奄美1年ぶりに行ったら色々発見があった。夜こんなにいろんな音したっけなあと思った。住んでるとこの夜はシーンとしてるけど、奄美ではカエルや虫や遠くの鳥の声がずっとしてた。あとは生き物見つける力がちょっと増えたなと思った。1年いろんなところ寄り道して虫を探したり鳥や猫を探したりしたからかな。どこ行っても結局生き物見るのが楽しい。

後輩も同期も、1年前とは相手に思ってることが違ってて、人はそのままで自分の考えや自分の思う距離が変わった状態で行くのはなんか不思議な感じがするかなと思って行ったけど、そんなことはなくてむしろ普通だった。変わって行くのが自然なことで変化を普通と思う自分も自然に思えた。

 

自分の生活のメインはその時々によって変わっていくけども、それを司ってなにかを辞めたり変えたりそのままでいたりするのが他の誰でもない自分であることに、気付いたのが去年の奄美だったと思う。誰のせいにも人任せにもせず、自分が自分の生活の主として責任と自由をきちんと負い始めて、それでやっと、何を今までつまずいてたのかと思った。けどこうなるまでに、自分が自分の人生を任せても良いくらい信用に足る人物であると自分が判断するまでに、結構長いことかかるだけの色々があったなと思う。特別恨みも感謝も持たないでいるのが良い、責任転嫁したり神格化したり大げさにやることない。ややこしいことはもういいや、気持ちを収めたり誰かに話して理解されるために全部に理由つける必要もなくなって良かった。生まれて育って今があるって感じでいい。わたしの生活は、こういう風にいたいと掲げてたものよりずっと種類の違うもっと良いものにだんだん変わってきたと思う。元の目標みたいなものを達するよりもっと良いものがあるってこともいつか途中で知った、だからそれで良い。生活カスタマイズ、楽しい。

 

帰ってきて就活しています。働ける気がしない。でも自分の図太さを感じられてかなり楽しい。横に座ってる人の話を聞くモードになって自分の面接のことほったらかしにしちゃうのアホだ。いつもいろんな人に会うたびに応援してもらって嬉しい。自分のいいとこなんて、自信持って人に言えるようなことひとつもないって思うって言ったら、絶対いいとこ見つかるしいいやつって思ってもらえるよって返してくれる人がいるの、めっちゃめっちゃありがたいことです。合うところに決まればいいな。頑張ろう。