入梅の候

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もう6月になってしまった

前回は奄美大島から帰ってから書いたのね

 

4月5月は就活と教育実習の2ヶ月でした。

幸い就活は早めに決まって、10個くらい見て3個くらいしか受けてないし1個も落ちてないという、謎に自己肯定感が育まれて終了した就活でした。

 

みんないろんな思いの中で働いてるってことを何度も何度も感じた。当然ながらどこに比重を置くかがみんなそれぞれ違うことも、実感した。性格も考え方も、いっぱい褒められて、自分の沢山の挫折の経験がたくさん報われたように感じた。なによりも、経験を人に話せるくらい自分が挫折をものにできたことを感じて、嬉しかった。もちろん自分が好かれないこともたぶんある、そこに行かなかっただけだから、自分がオールマイティにどこ行っても好かれるとは思っていない。そして入ってみないとわからないから、喜んではいるけど油断してはいない。

 

教育実習は5月の前半の2週間で母校に行ってきた。初日の朝のSHR、わたしは心臓の拍動を自分の目で見て服の上から分かるほど緊張して、縮み上がって声が出にくくなった。前日の晩も怖くて怖くて、わたしはどう評価されるのか、どう邪魔になってしまうのか、ずっと不安だった。いくつも失敗したけど、生物科の先生は4人ともとても優しくて暖かくて、いつも生物準備室は笑い声に溢れていた。「いっぱい準備することは大事です。でもいっぱい考えたら、まあ失敗してみなさい、それからまた考えましょう」という感じで、いつもあたたかく見守っていただいた。生徒は本当に可愛くて可愛くて、最初は本当に怖かったけど、3日目くらいに「まあどんだけ嫌われててもわたしはみんなのこと大好きやな」と気付き、残りの貴重な日数全部使って愛で尽くして帰ってやるぞという方向に気持ちが変わって、ひとりひとりのいいところをたくさんたくさん見て、見つめていった。ホームルーム教室は1年2組。みんな堅く感じたけど、2週間で少し馴染んでとても感じたのはみんなの優しさだった。柔らかくて笑いがいっぱいあって雰囲気の暖かいクラスだった。担任の先生は太ったお父さん〜おっちゃん世代で、クラス内自治には関わらず、生徒に委ねる人だった。みんなのびのびしていたのも、人の意見を待てるのも、この人の雰囲気のおかげもあるかもしれない。

 

兄がいる女の子。静かで控えめ。体育祭の団旗を自分で絵の具塗ると言って、たまたまその日手伝える人が1人もいなくて1人で塗ることになった。なのでいっしょに塗った。控えめだけど笑う。いつ話しかけても優しかった。控えめな笑顔でぱーっと近づいて、ありがとうって最後に言ってくれた。

途中から現れて絵の具手伝ってくれた人懐っこい男の子。大きいお姉ちゃんが2人いて、親戚の中でも自分が一番下で、可愛がられまくっているらしい。高校受験するにあたってプレッシャーがすごかったらしい。カチカチのわたしを笑かしてくれた。男女の間、発言を良くする人しない人の間をスイスイどこでも行き来できて、周りをなじませられる子だった。

小柄で、みんなの弟分みたいに可愛いがられて憮然としていた男の子。聞くと年の離れた妹が2人いて、家じゃあそぼあそぼって言われて勉強できないらしい。可愛がられているときの違和感はそれだった。家では頼りにされて遊んであげるお兄ちゃんだった。

人懐っこくてにやけ顔の男の子、好きな先輩たち(美人)の名前を体育祭のメンバー表の中から見つけ出して「絶対見よ」って言ってニヤニヤ。可愛い人は名前がすでに可愛いらしい。いっつもニヤケ顔でいつも優しいエロ小僧。

文化委員の女の子。仕切るのが一番うまかった。みんなこの子が前で話すとき、すぐ聞いた。コーラスの練習にあんまり人が集まらなくて困っていた。困り役になってみんなのことをまとめてくれる子だった。

同じく文化委員の男の子。ピアノが弾けそうな、大人しくて王子のような子。柔らかい雰囲気で、ほかの男の子とわちゃわちゃつるむことはないけど、みんなから一目置かれていた。席替えの時この子の近くになった子が、教えてもらえる!って喜んでた。

わたしの声の出ていない初期の頃からわたしが前に立ったら「話を聞いています」の顔でわたしを見てくれた男の子。下の名前にちゃん付けで呼ばれていた。運動ができそうだった、わちゃわちゃグループにいて名前をたくさん呼ばれていたけど本人はポカンとしていてさらりとかわす子だった。

年上と話すのが上手い女の子。いつもにこにこでいつもハキハキしていた。おばちゃんみたいに快活で、人を貶めて笑うことのない子だった。みんなの前で発言することはないけど、楽しく自分の生活を生きているだけでムードを作れる子だった。この子と話す時みんな笑顔が多かった。

イケメンが大好きな女の子。体育祭で先輩と写真撮ってもらう、棒引きはイケメンが多いと息巻いていた。可愛い先輩のことにも詳しくて、好きな顔の先輩を教えてくれた。

 

他にもたくさん、1人1人みんな可愛い40人のクラスだった。

いっぱい考えた。どうしたら失礼にならないか、誰かを傷つけたりしないか。どうしたらきちんと伝わるか、わかりやすいか、覚えやすいか。実験の指導の時、「ガラスを割らないようにしましょう」と言うのと、「割ってはいけません」と言うのとでは割れる枚数が違った。イシクラゲをしっかり潰すことを強調しすぎたクラスでは、バナナの細胞もしっかり潰して壊れてしまっていた。伝わり方受け取り方が言う人によっても違うしクラスによっても違うし人によっても違った。65分間の授業、前で話し続けることは難しかったけどとても楽しく思った。緊張はしたけど、反応を見るのが楽しかった。何を言うかということばっかりを考えるのではなく、返ってくる反応をきちんと受けとめる大事さを知った。当てて答えてもらった。チョークを渡して前に出てきてもらって黒板に書いてもらった。みんな本当にご協力ありがとう。

お世話になった先生にも会いに言った。高3の最後の方、わたしは学校に通うのがとてもしんどくなっていた。授業の合間にふわっと抜け出して人が来ないトイレに行って、考え事をしていた。考え事が煮詰まったらそのまま帰った。朝の電車から煮詰まっていたときは学校に足が進まず、電話して休んで川沿いを散歩した。たくさん探されたし心配された。そんなことが分かっていなかった。周りの綺麗な女の子たち、明るい女の子たちに自分は混ざることができないし、埋もれるだけだと思っていた。頭の中が遠くに飛んで行って別のことを詰めて考えていて、抜け殻みたいで自然に笑えなくなった自分を、友達に見せたくなかった。違和感を感じられたくなかった。元気なときでしか会えないと思った。先生として生徒を見たとき、埋もれる子はいなかった。1人1人を感じた。高校生のとき、自分が否定されたり消されたりすることが嫌だった。実際そうされていなかったのに、いなくっても大体同じだと思っていたから、当然否定されたり消されていると思った。でも自分を否定して消えようとしていたのは自分の方だったのだと、もっと後になってしまってからようやく気が付いた。

申し訳なくて挨拶に来れなかったと伝えて謝った。心配してたけど、今あなたいい顔をしてるよと言われた。その顔、その表情が自然に出るようになるまで、たくさん頑張ってきたんやねと言われた。強くなったこと、今実習生として毎日明るく頑張ってる姿を見たら、本当に安心したと言われた。先生方の深い愛情を感じた。

「話を聞いています」の目をして見てくれる生徒が日に日に増えて行った。最後の終礼、教室中がその目だった。思わず泣きそうになった。みんな、嫌なことばつかりを生活の中に探さずに、どうか好きなものを生活の中に探して、それを大事にしてね。高校時代は好きなものを見る目を養う期間だとわたしは思っています。

 

泣いた。最初は不安で泣いた。その次、分からないうまくできないことの多さに泣いた。最後は周りの暖かさに泣いた。先生方の愛情に泣いた。生徒たちの目に泣いた。大好きだと思った。本当に幸せになってほしい。わたしも幸せになる方向に進み続ける努力するよ。

あの高校の中にもわたしみたいな生徒はいると思う。そして誰にも知られないように悩もうとしていたから、その子も本当に見つけにくいと思う。あのときわたしは、自分をストレートに好いてくれる大人が近くにいて欲しかった。自分を小さく小さく見積もって、できる良いことよりもかける迷惑を数えていた。どれだけ褒められても、いやいやわたしなんて...となっていたわたしを、それでも見つめ続けてくれる大人が近くにいてほしかった。数年経って今、自分がそうなろうと思って学校に行ったのに、見つけ出せなかった。見つけ出せなくとも、見てくれていたらいい。あの人なら、もしかしたら言ったら分かってくれそうだなと思ってくれたらいい。

本当に貴重な2週間だった。宝物みたいに思っている。今後の人生にも大きく影響を及ぼすだろうと思う。

 

先生になるかな。社会人経験を積んでから先生になろうと思ってるけど、内定をくれた会社で来年の4月から働いて、ほんとうに居心地良かったらそこでずっと働くのも良い。どっちでもいい人生だと思う。漠然と思う。

あの子たちが幸せを選びながら生きていけるといいなと思う。